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イチムラ (百貨店) : ミニ英和和英辞書
イチムラ (百貨店)[みせ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
百貨 : [ひゃっか]
 (n) all kinds of goods
百貨店 : [ひゃっかてん]
 【名詞】 1. (department) store(s) 
: [みせ]
  1. (n,n-suf) store 2. shop 3. establishment 

イチムラ (百貨店) : ウィキペディア日本語版
イチムラ (百貨店)[みせ]

イチムラは、新潟県にあった日本の百貨店である。
== 歴史・概要 ==
1950年(昭和25年)に新潟県長岡市坂之上町で市村保治がイチムラ洋品店として創業した〔のが始まりである。
1954年(昭和29年)4月25日に新潟県長岡市の大手通に移転し、イチムラ百貨店として開業し〔、同じ大手通に開店した大和丸専デパートと共に人気のある大型店として賑わいの中心となった。
そして1962年(昭和37年)4月には新潟県長岡市大手通2丁目に新店舗を建設し〔、1963年(昭和38年)6月15日に百貨店審議会で百貨店法による営業を認可を受けて法律上も百貨店となった。
1970年(昭和45年)10月〔『新潟市史 通史編 5 現代』 新潟市、1997年。〕には新潟市東堀通6番町1045〔に地上10階地下3階建ての建物を建設して新潟店を開店し、ライバルの百貨店で共に長岡市大手通を構えると同時に新潟市にも出店していた大和や丸大と長岡と新潟の両市で競争を繰り広げた。
その後1978年(昭和53年)3月にニチイの支援を受けて、カネ長武田百貨店山田百貨店丸光小美屋と共に新時代の百貨店を目指して株式会社百貨店連合を設立し、同年4月に業務委託契約を結んで仕入関連業務を集約するなど業務の改革も行った。
しかし、新潟店は相次ぐ大型店進出ラッシュの中で新潟市の競争が激化した煽りを受けて業績不振に陥り〔新潟中央銀行50年史編纂委員会 『新潟中央銀行50年史』 新潟中央銀行、1995年。〕、1980年(昭和55年)に閉店となった〔。
そして1981年(昭和56年)3月に先行して武田百貨店と山田百貨店の2社とと共に合併して株式会社武田山田百貨店を発足させたため、企業としてのイチムラは消滅した〔。
さらに、1982年(昭和57年)9月に株式会社百貨店連合が武田山田百貨店や〔1982年(昭和57年)3月に丸光(本社仙台市、資本金8億円)と合併して株式会社丸光小美屋を設立していた丸光小美屋と合併して〔『川崎市史 通史編 4 下 現代 産業.経済』 川崎市、1997年。〕5社が経営していた百貨店の経営を完全に引継いだため、当店の経営も株式会社百貨店連合へ移行している〔。
こうして経営母体は変遷したものの、その後もイチムラは店名としては使用され続けていた。
その後1985年(昭和60年)3月株式会社百貨店連合株式会社ダックシティと改称した〔ため、長岡店は店名はダックシティイチムラに変更して営業を続けたが、郊外への大型店の出店や中心市街地の人口減少などの影響で1997年(平成9年)2月に閉店し、その歴史に終止符を打った〔。
市村の出身地である十日町市には、市村の親族が経営する化粧品や婦人服を扱う「市村百貨店」が存在し、かつてイチムラが使用していた商標とロゴを継続使用している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イチムラ (百貨店)」の詳細全文を読む




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